2011年7月7日木曜日

未刊詩篇 『ひからびた心』

ひからびたおれの心は
そこに小鳥がきて啼き
其処に小鳥が巣を作り
卵を生むに適していた

ひからびたおれの心は
小さなものの心の動きと
握ればつぶれてしまひさうなものの動きを
掌に感じてゐる必要があつた

ひからびたおれの心は
贅沢にもそのやうなものを要求し
贅沢にもそのやうなものを所持したために
小さきものにはまことすまないと思ふのであつた

ひからびたおれの心は
それゆゑに何はさて謙虚であり
小さきものをいとほしみいとほしみ
むしろそのぼうれい(暴戻)を快いこととするのであつた

そして私はえたいの知れない悲しみの日を味つたのだが
小さきものはやがて大きくなり
自分の幼時を忘れてしまひ
大きなものは次第に老いて

やがて死にゆくものであるから
季節は移りかはりゆくから
ひからびたおれの心は
ひからびた上にもひからびていつて

ひからびてひからびてひからびてひからびて
――いつそひわ(干割)れてしまへたら
無の中へ飛び行つて
そこで案外安楽の暮せるのかも知れぬと思つた

2011年1月14日金曜日

月夜の浜辺

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
   月に向つてそれは抛れず
   浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁み、心に沁みた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?


この有名な詩も亡き愛児に捧げてつくられた。「月夜の晩に」は夜が明るく、照らされた海も静かであることを連想させる。そしてボタンが一つ落ちていた。月のかけらか、まん丸いボタンが。とすれば満月か。
拾ったボタンが文也のものならどうしよう。指先に、こころに深く感じるものがあれば、どうしてそれが、捨てられようか?

2011年1月5日水曜日

亡き児文也の霊に捧ぐ「春日狂想」

29歳で長男文也を失った悲しみが、中原中也 晩年の傑作を産む。

抜粋



愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(げふ)が深くて、
なほもながららふことともなつたら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。

亡き児文也の霊に捧ぐ「また来ん春……」

また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るぢやない
 
おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫といひ
鳥を見せても猫だつた
 
最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた
 
ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……

亡き児文也の霊に捧ぐ「六月の雨」

昭和11年11月10日、長男・文也病没。
中也は詩集『在りし日の歌』の原稿を小林秀雄に託して死んだ。昭和12年10月22日、享年30歳。小林は友として翌年これを刊行する。

またひとしきり 午前の雨が
菖蒲のいろの みどりいろ
眼うるめる 面長き女
たちあらはれて 消えてゆく
 
たちあらはれて 消えゆけば
うれひに沈み しとしとと
畠の上に 落ちてゐる
はてしもしれず 落ちてゐる
             
       お太鼓叩いて 笛吹いて
       あどけない子が 日曜日
       畳の上で 遊びます

       お太鼓叩いて 笛吹いて
       遊んでゐれば 雨が降る
       櫺子の外に 雨が降る


六月の雨が家屋のトタン屋根を叩きます。亡き児の霊がお太鼓叩いて、笛を吹いて、そして雨は降ります。

2011年1月3日月曜日

「少年時」 私は生きてゐた!

黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡つてゐた。

地平の果に蒸気が立つて、
世の亡ぶ、兆しのようだつた。

麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だつた。

翔(と)びゆく雲の落とす影のように、
田の面を過ぎる、昔の巨人の姿――

夏の日の午(ひる)過ぎ時刻
誰彼の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走つて行つた・・・・・・

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた・・・・・・
噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた!

弟洽三の死④「梅雨と弟」

死と向かい合わせの現実。ときにそれは私小説のように・・・

毎日々々雨がふります
去年の今頃梅の実を持つて遊んだ弟は
去年の秋に亡くなつて
今年の梅雨にはゐませんのです

お母さまが おつしやいました
また今年も梅酒をこさはうね
そしたら来年の夏も飲物があるからね
あたしはお答へしませんでした

弟のことを思い出してゐましたので

去年梅酒をこしらふ時には
あたしがお手伝ひをしてゐますと
弟が来て梅を放つたり随分と邪魔をしました
あたしはにらんでやりましたが
あんなことをしなければよかつたと

今ではそれを悔やんでをります・・・・・・

弟洽三の死③「死別の翌日」

死と向かい合わせの現実。ときにそれは私小説のように・・・

生きのこるものはづうづうしく、
死にゆくものはその清純さを漂はせ
物云いたげな瞳を床にさまよはすだけで、
親を離れ、兄弟を離れ、
最初から独りであつたもののやうに死んでゆく。

さて、今日は良いお天気です。
街の片側は翳り(かげり)、片側は日射しをうけて、あつたかい
けざやかにもわびしい秋の午前です。

空は昨日までの雨に拭はれて、すがすがしく、
それは海の方まで続いてゐることが分ります。

その空をみながら、また街の中をみながら、
歩いてゆく私はもはや此の世のことを考へず、
さりとて死んでいつたもののことも考へてはゐないのです。
みたばかりの死に茫然(ぼうぜん)として、
卑怯にも似た感情を抱いて私は歩いてゐたと告白せねばなりません。

弟洽三の死②「疲れやつれた美しい顔」

死と向かい合わせの現実。ときにそれは私小説のように・・・

疲れやつれた美しい顔よ、
私はおまへを愛す。
さうあるべきがよかつたかも知れない多くの元気な顔たちの中に、
私は容易におまへを見付ける。

それはもう、疲れしぼみ、
悔とさびしい微笑としか持つてはをらぬけれど、
それは此の世の親しみのかずかずが、
縺れ合ひ、香となつて蘢る壺なんだ。

そこに此の世の喜びの話や悲しみの話は、
彼のためには大きすぎる声で語られ、
彼の瞳はうるみ、
語り手は去つてゆく。

彼が残るのは、十分諦めてだ。
だが諦めとは思はないでだ。
その時だ、その壺が花を開く、
その花は、夜の部屋にみる、三色菫(さんしきすみれ)だ。

弟洽三の死①「ポロリ、ポロリと死んでゆく」

死と向かい合わせの現実。ときにそれは私小説のように・・・

中也二十四歳、弟恰三の死(昭和6年)を悼んだとされる詩である。大正4年に死んだ次男の亜郎と重ね合わせて「みんな別れてしまふのだ。」と表現したのだろう。

九月八日の宵であつた。私はその夜の汽車で東京に向けて立つことにしてゐた。弟の寝てゐる蚊帳のそばにお膳を出して、私はそこで、グイグイと酒を飮んでゐた。・・・・・秋の日を受けた、弟の部屋の椽側は明るく、痩せ細つた足に足袋を穿いて、机に向つてゐる弟の姿が、庭の松の木や青空なぞと一憘に見えた。
 「あれが中日和といふものだつたのでせう」と母は、埋葬を終へた日の宵、私達四人の兄弟がゐる所で云つた。
 「中日和つて何」と、せきこんで末の弟は訊いた。
 「死ぬ前にたいがいその一寸前には、氣持のいい日があるものなんです。それを中日和。」

・・・・・私は同宿人のゐないことが、つまり六疊と三疊二間きりのその二階が私一人のものであることが、どんなに嬉しかつたか知れはしない。存分に悲しむために、私は寝臺にもぐつて、頭から毛布をヒッかぶつた。息がつまりさうであつた。が、それがなんであらう、私がビールを飮んでゐる時、弟は最期の苦しみを戰つてゐた!
(一九三三・一〇・一八)

さらに、長男中原文也の死後、赤インクによる加筆訂正がおこなわれた。 幼い愛児の死の悲しみを、深い喪失感を、「ポロリ、ポロリ」と表現した。

 恰三は、明治45年10月生れ、5歳年下の長男である。長男中也に医師になる意志も見込みもなく、次男亜郎は夭折していたので、中原病院を継ぐために医学を志した。幼時より剣道野球を好み、快活な性格であった。昭和5年4月、両親の期待に応えて日本医大予科に入学したが、恐らく受験勉強の過労の結果であろう、肺を悪くして帰郷する。急に病状が進んでこの年9月27日に死んだ。(中原中也全集解説「詩Ⅱ」大岡昇平)

ポロリ、ポロリと死んでゆく。
みんな別れてしまふのだ。
呼んだつて、帰らない。
なにしろ、此の世とあの世とだから叶はない。

今夜にして、僕はやつとこ覚るのだ、
白々しい自分であつたこと。
そしてもう、むやみやたらにやりきれぬ、
(あの世からでも、僕から奪へるものでもあつたら奪つてくれ)

それにしてもが過ぐる日は、なんと浮はついてゐたことだ。
あますなきみじめな気持である時も、
随分いい気でゐたもんだ。
(おまへの訃報に遇ふまでを、浮かれてゐたとはどうもはや。)

風が吹く、
あの世も風は吹いてるか?
熱にほてつたその頬に、風をうけ、
正直無比な目を以つて、
おまへは私に話したがつているのかも知れない……

——その夜、私は目を覚ます。
障子は破れ、風は吹き、
まるでこれでは戸外に寝ているも同然だ。

それでも僕はかまはない。
それでも僕はかまはない。
どうなつたつてかまはない。
なんで文句を云ふものか……