大学時代、初めて中原と会った当時、私は何もかも予感していた様な気がしてならぬ。尤も、誰も、青年期の心に堪えた経験は、後になってからそんな風に思い出し度がるものだ。中原と会って間もなく、私は彼の情人に惚れ、三人の協力の下に(人間は憎み合う事によっても協力する)、奇怪な三角関係が出来上り、やがて彼女と私は同棲した。この忌わしい出来事が、私と中原との間を目茶々々にした。言うまでもなく、中原に関する思い出は、この処を中心としなければならないのだが、悔恨の穴は、あんまり深くて暗いので、私は告白という才能も思い出という創作も信ずる気にはなれない。驚くほど筆まめだった中原も、この出来事に関しては何も書き遺していない。たゞ死後、雑然たるノオトや原稿の中に、私は、「口惜しい男」という数枚の断片を見付けただけであった。夢の多過ぎる男が情人を持つとは、首根っこに沢庵石でもぶら下げて歩く様なものだ。そんな言葉ではないが、中原は、そんな意味のことを言い、そう固く信じていたにも拘らず、女が盗まれた時、突如として僕は「口惜しい男」に変った、と書いている。が、先きはない。「口惜しい男」の穴も、あんまり深くて暗かったに相違ない。
小林秀雄『人生について』より